宮城県石巻市蛇田 の北北上河運河沿いに桜の苗を植樹しました。
震災後、運河沿いの桜は全て津波の影響を受けて枯れてしまいました。
地元の人達や全国の人達と桜を育て、命を大切にすることを桜の植樹を通して子供達にも伝えていける。
そして復興した石巻に誇りをもって世界にも伝えていきたいと願っています。
今回は、東京、新潟、仙台、山梨からそして地元の幼稚園や中学校から沢山の方が
ボランティアで集まっています。
東海大学代々木キャンパス 東北復興支援イベントに参加しました。
〜食べて、知って、広めて〜
東北の食に出会い、東北を知り、「東北とツナガル」
しろひげは宮城県代表で無添加のスパイスカレーを皆さんに食べていただきました。
石巻の名産でもあり取れ立ての茎若布は好評でした。
みなさん本当にありがとうございました。
宮城県石巻市蛇田の元祖飩つけめん「しろひげ」のスペース前にて参加費無料の復興際を行いました。
ゲストとして、声優の渡辺菜生子さん、お笑い芸人の上々軍団、お侍ちゃん、チップ青木の5名のタレントさんをお呼びし、
バルーンアートの「バルーンのぶんちゃん」が来てくれました。
子ども達に無添加カレーモツうどん100食限定を無料で提供しました。
「3.11東日本大震災・市民とボランティアのつどい」
東北大学のキャンパス内でイベントを開催しました。
「しろひげ」の豚皮カレーを出店しました。
「あいぴーす」を応援してくれている、ちびまる子ちゃんの声優チームから
全員分のサインと、ちびまるこちゃんオリジナルのアメやラムネを頂いたので店頭に置かせて頂き アメやラムネは子供達に配りました。
あいぴーす本部(東京)にて「復興プロジェクト会議」を行いました。
テレビ局関係の方達 アニメ「ちびまるこちゃん」に出てくる
声優の渡辺菜生子さん(たまちゃん)も参加して頂きました。
「三陸石巻産」の、ひじき、とろろ昆布、いか焼足
「松島産」の、焼き海苔
を関東方面で物産販売いたしました。
沢山の方々の協力の下、予想以上の販売ができました。
ご協力頂いた方々、ありがとうございました。
7月に、佐藤たけるくん他アミューズの方々が、ボランティアに来ていただきました。
その後「10月か11月にまた行きます。」と電話連絡がありました。
今回来ていただけたのは、三浦春馬くん他アミューズの方々が来てくださいました。
ありがとうございました。
大震災から、半年が経とうとしています。
がれきの撤去など、まだまだ手つかずの場所は沢山あります。
心のケアがとても必要だと常々考えています。
「しろひげ」に来るとが心を安らぐ。少しでも、そんな場所になることを祈っています
「復興のために立ち上がった女性たち」として紹介されました。
代表である、佐野みづえが自ら3月から石巻で支援活動をしています。
3月にボランティアで被災地を廻った時に
「職場が流されてしまった」など、生活不安を話される方々が沢山いました。
「仕事がほしい」その言葉を何度も聞いて、6月に雇用支援の為に、「石巻飩つけめん”しろひげ”」を始めました。
屋台を沢山つくり、地元の方に任せる計画を考えました。利益は100%支援として使わせていただいています。
雇用支援用の屋台作りをしました。
一台でも多く作れる様に、節約重視で、全部一から作りました
アミューズ事務所のみなさんが「しろひげ」にボランティアに来てくださいました。
お店の、イス作りや竹の鈴付けまで仕上げていってくれました。後で気がついたら
マネージャーさん?ニスを自前で買って来た様子です。ありがとうございます
ミヤギテレビの取材をうけました。水曜の『OH!バンデス』
7月6日の3時45分放送。
『OH!バンデス』は、月曜日~金曜日の15:50~19:00に放送されている夕方ワイド番組(ローカルワイド番組)。『news every.』を内包している。通称は「バンデス」。宮城県のローカル番組ではかなりの人気番組であり、常に高視聴率をキープしつづけている番組。
石巻の沢山のお客さんと雇用が生まれることを願います。
2012年3月11日まで「しろひげ」の利益はすべて支援活動の
資金に使わせていただきます。
未来美術家・遠藤一郎さん に看板づくりを支援していただきました
象書家(ショウショカ)の豚星なつみさんに看板を書いていただきました。
3/12からの「活動記録」がシステムトラブルによって消えてしまいました事をお詫び申し上げます。
過去の記録については当サイトにて活動記録を作り、追って出来るだけ早く更新させていただきますので、またお立ち寄り下さいますようお願い申し上げます。
2011年
8月
12日
金
15日「石巻しろひげ」がオープンに向けて動き始めます。
被災をした多くの方達から直接話を聞いていると、生活に不安を抱えていて
、物資や電気代等の光熱費のかからない避難所から
仮設住宅に移り住むのをためらっている方が多く、問題になっていました。
私達は雇用が復興には大事だと常々感じていました。
ゆくゆくは自分たちが経営出来るよう、指導しながら、
しろひげの利益は雇用運営、支援のために使っていくことを決めました。
早く少しでも多くの人達を雇用、そして自分の店をもてるよう願うばかりです
仕事を探している人 自活をしようと考えている人 企業の立て直しを考えている人 しろひげは利益の全額を、あいぴーす基金に寄付をします。 自立を考えている人の支援をしていきます
15日です。オープンの前にすることは山ほどあります。あいぴーす社員、ボランティアを総動員させて取りかかります。
22日やっと内装の準備に取りかかります。資金の節約のために、業者には頼まずすべて手作りです。
建物の状態と言えば、地震の影響で床はひび割れています。内装も飲食店用ではないので、キッチン、食卓、椅子や看板まで一から手作りです。
床のひび割れた部分にはセメントを流し込みます。素人ばかりなのでこの作業だけでも一週間はかかります。
5月は内装をきれいに片付け、キッチンの基礎をつくります。
外装も腐食している木材に腐り止めのペンキを塗ったりキレイにしていきます。
31日「未来へ号」に乗って被災地でボランティア活動をしている、未来美術家の遠藤一郎さんらが、石巻しろひげの看板を書きに来てくれました。
その際、象書家の豚星なつみさんは九州から石巻しろひげの看板を書くために来てくれました。
黒に白の字で、シンプルかつ大きく目立つ看板が出来上がりました。
2011年
8月
12日
金
9日ボランティアの方と被災地を周り、支援物資を届けました。
気仙沼の道路の状態は3月末と比較すると、車が走りやすいようにガレキ、廃材、電柱や信号機などは道路から撤去されていたので、前回通れなかった場所にも行くことが出来ました。
その他にも、異臭などがしていた地域などが場所によっては臭いが弱くなっていたり、支援物資がちゃんと必要分届いていなかった場所に支援物資が届く様になったなどと、この短期間に変わったことも多くありました。
実際に被災地を見て感じたことは今後の活動に大きく影響を与えてくれる糧になることは間違いありません。
11日震災からちょうど一ヶ月、街頭募金のボランティアの方たちを集めました。
一ヶ月経った被災地がどんな状態なのか、今は何が必要なのかを、3月に被災地に向かった人、9日に向かった人の話を聞いてそれについて話し合いました。
22日東京都世田谷区の経堂にある、ちりとり鍋佐野屋の好意で、ボランティアの方たちを対象にした食事会を行わせていただきました。
無欠席で街頭募金を行った方、特別大きな役割を果たした方などに表彰状を贈るなどの表彰も行い、普段あまり関わりを持っていなかったボランティア員どうしでの会話もあり、団結力はより強いものとなりました。
2011年
7月
06日
水
12日NGOあいぴーすは活動をする為の計画を練っていました。
主な議題はどこに行き、何をするのか、どうやって資金を集めるのかです。
募金活動はまずは街頭募金を、他にも店舗に置いてもらう、ネットショップを作成しそこで販売した物の利益を活動資金として利用する、などの色んな意見が出ました。
19日この日街頭募金スタートの日です。場所は池袋、人数は11人となかなか集まりました。そのうち社会人は1人、高校生が1人、そして残りの9人が東京福祉大学の学生の方達でした。
この日はなかなかの滑り出しでボランティアのみんなもホッと胸を撫で下ろしていました。この日からは毎日池袋を拠点に、雨の日も又風の日も関係なく街頭募金をしていました。
29日深夜に東京を出発して着くのは30日です。
30日午前9時頃気仙沼に到着しました。
気仙沼市は魚町に住む酒蔵の斉藤さんとお会いしました。
斉藤さんは、お店はなくなってしまったものの、工場自体は被害が無かったそうです。魚町の被災状況は悲惨で船、それも大きな船が陸に打ち上げられていました。
ガレキや家具は道のそこら中に散乱していて、ほとんどの家が全壊もしくは半壊、といった状態でした。
その後気仙沼市街に行きましたが、市街はもっとひどい状態で言葉が出ませんでした。中には、まだ人が住んでいる家もありました。ただ、市街は自分が見た限りでは9割以上の住宅が大破していました。
津波の後にガスボンベが爆発するなどで起きた火事などの影響もすごく、本当にひどい状態でした。自衛隊もまだ行っていないような所で、津波のひどさがよりいっそう強く感じられました。
その後避難所になっている「老人憩いの家」に、1,407,000円分の健康サプリメントやその他、衣類や日用品などを届けさせてもらいました。